フランスでママン 〜イヤイヤ期について考える 2歳半〜
![ニナ](https://mamanjournal.francesugoi.com/wp-content/uploads/2016/07/IMGP1537-300x225.jpg)
イヤイヤ期という言葉に娘の成長を当てはめたくないとどこかで思っていたのですが
ついに来ました。
これはイヤイヤ期と呼ぶしかないだろう?というぐらい。
いつこの日に来た、と言えるものではないですが、2歳6ヶ月ぐらいから。
つらかったです。
今までもこの子は意志が強い子だわという局面、たくさんありました。
ノーノーノー!という言葉も2歳になる前ぐらいからよく言っていたんじゃないかな。
しかし、今回は本格的なイヤイヤ期です。
冗談半分ではありません。
興味本位でノーノーノーと言っていた頃は、簡単にまぎらわせることができたのですが
今回は手こずっています。
娘の確固たる意志が感じられるものです。飼い猫のくまおにさえノーノーノーと叫んで
結構ボスって感じです。
オムツ替えも、お風呂を入れるのも一苦労。
好きなビデオをずっと観させて!と戦ってくる。
洋服も、ピンクの短パン以外はノーノーノー!
時々、あまりにも叫ぶので、スーッとその場を去りほっといてしまい、好きにさせていると
なんだかんだ言って娘の言いなりになっている気がしてきて…
教育としつけと子の意志を尊重するって本当難しい。
一人の人間で、私とは全く違う人格で、私の言うことやることが少なからずこの子に影響するかと思うと
身動きできなくなる。
そんな時、これを読んで癒され、励まされ、余裕を持つことの大事さを学びます。
河合隼雄先生。
ちょうど妊娠初期の疲れやピリピリもあって、6月〜2ヶ月ぐらいの間、本当に本当に精神的に大変でした。
イヤイヤ期の娘がかわいいと思えなくなりそうでした。
毎日疲れていて、すぐ一人になりたいと思ってしまって、朝からギブアップしているような毎日。最悪です。
奮い立たせて頑張ろうとするも、頑張れず娘に対して怒鳴ってしまった自分に嫌気がさし。
大人なんだから、もっと根気よく付き合ってあげられたらいいのに。
笑顔でいられない自分も大嫌いでした。
とにかく、今まで子育てを頑張り過ぎていた分、なぜこんなに反発するのだ?!という戸惑いも大きかったのだと思います。
娘に期待し過ぎていたのですね。
それから、マタニティブルーとかいうやっかいな神経が敏感になっている時期も重なったのもあったと思います。
すべてはこういうママンの状態が反映されて、ますます娘のイヤイヤに拍車かかっていたんでしょうね。
これも、今ようやく落ち着いたからこそ言えることです。
なぜ今落ち着いた状態になれたかというと、河合隼雄先生の本と、夏休みが作用してくれたようです。
私の母と一緒に車でイタリアを旅をしてきました。実の母がいてくれることが、こんなに助かるとは。
娘を安心して見てもらえる、ということだけでこんなに肩の力が降りて、リラックスできるとは。
そして、私自身も甘えて、とことん”自分”でいられました。そのおかげで、今の自分が本当に嫌だと心底思えて、変わるなら今だとも思えた旅でした。
旅をするたび人は成長すると言いますが、今回の夏の旅で、確実に娘も私も成長しました。
娘は、より女の子らしくなって、表情も大人になってきたのを見た夏でした。
そして、ここまで書いてふと思ったことは、
実は最初からイヤイヤ期なんてなかったのではないか?ということです。
この2、3ヶ月、私がイヤイヤ期が来たよトホホと思っていたのは、実は全てママン自身の反映でしかなく、
かえってイヤイヤ期などという名前でくくりつけてしまうことで
構えて、娘に対して一面的な見方をし接していただけだったのではないか。
そしてさっきも述べたように、娘はママンの鏡です。
ママンが良くない状態だったから、娘も困っていて、そういう反発の態度でしかいられなくなっていたのでは。
一般的にイヤイヤ期と呼ばれるこの時期の意志の芽生えや、言葉にできないことのフラストレーション・彼女の脳の成長ももちろんあったに違いないのですが、
親がそこまでゲンナリするようなイヤイヤ期ではなかったのではないか。
私の母も言っていましたが、この子はそんなに本気でノーノーノー!と意地悪で言っているわけではないよ。
ただ反対のことを言ってみたいだけだよ。
そう一歩引いて見てみると、ノーノーノーと叫んでいる瞬間もかわいいヤツめと笑顔にさえなってしまいます。
こんなシンプルなこともできなかった…相当余裕がなくなっていたんだなあと思います。
もし本当に、私が出した娘のイヤイヤ期に関する結論が当たっていたとしたら
とてもかわいそうですが、今気がついてよかった。
ごめんね。
それでも、これも家族の形。ママがそういう状態だったのも、申し訳ないけど、人間だもの。
家族だから何でも許してくれという意味ではなく(そういう押し付けがましい家族の形なんてイヤ)、
フランス語にある言い回し「C’est la vie」という感じでしょうか。
ごめんね、ママも人間だから限界があるのだよ。お互い限界がある人間同士、仲良くやっていこう。
という姿勢でいられればいいなと思います。
そう思わせてくれたのは、やっぱり河合隼雄先生の本のおかげもあります。
この本は前出の本よりは少しだけ論文調で難しく、1980年出版なので、古いと思う方もいるかもしれません。
でも、私は河合氏の考察・メッセージは時代を超えていると思います。
母と子だけでなく、夫婦、姑、きょうだい関係についても書かれています。
私は母性について考えさせられました。
うちは夫がヨーロッパの人なので、この本のタイトルの日本の家族 というわけではないのですが、
どの家族も一つとして同じ家族はないですよね。
当てはまるとか当てはまらないとかではなく、面白いです。
”母”としての在り方、これからも娘の年齢と共に変わっていくと思いますが
つまずいた時はこの本を読み返していこうと思っています。
そして、余裕がなくなっている自分に早く気づいて対処できるようになりますように。
娘の成長と共に、ママンも成長して行きます。
ついていくからね!