フランスでママン 〜フランス語で子育てするということ〜

最近、フランスでフランス語で子育てをすることについて本当の大変さを感じてきています。
日仏ハーフの子供の日本語教育について書いた時は、私自身の態度も明確でふっきれていたのですが、やっぱりシンプルではないことを感じています。

きっかけはいくつかありました。

9月から小学生になった長女と毎日宿題をしている時、ああこの子は本当にフランス語をこうして学んでいくんだなという感慨。そして私が教えてあげる立場なのも不思議だなという違和感。

妊婦検診で、ジネコの先生や助産師マリー・ピエールに、ぜひバイリンガルの強みを発揮させるべきよ、子供にもっと日本語で話してあげてと情熱的に語られたりしたこと。

それから今三女の名前を考え中で、日本語の名前とフランス語の名前で格闘しているのでそれも影響しているのかもしれません。
フランスで暮らしていく限り、ファーストネームはフランス語の名前でと思っているのですが、なんだか私の中で納得がいかない気持ちがあることに気がつきました。
これは不思議なことで、上二人の娘の時はむしろフランスの伝統的な名前をつけたいと思っていたのです。そして二人とも古風でさえあるフランスの名前と、ミドルネームとして日本語の名前を持っています。
今回は、生まれてくる子の名前は日本語にしたいような気持ちがあります。
でも、日本語の名前を持つことでちゃんと発音してもらえなかったりスペルをいちいち聞かれたりなど起こり得るシナリオを考えると…迷います。
名前は贈り物だけど、その名前を一生身につけていくその子の人生を本当に想像したら一筋縄ではいかないですね。


フランスで生きていくからには

現実的に一家で日本に戻ることはないので、子供達はフランスで教育を受けフランスを基盤として生きていくのだとイメージしています。そして私も…。

子供達と日本語で話せたなら、日本人同士のように理解し合えたら、と願う日もありますが80%はフランス語で会話しています。
そして話す言語はフランス語でも、お互いをすごく理解し合えていると思っています。
そう思っているのですが、いつまでか。

フランスという国で家族で生きていくことを選んだのだから、順応したい・できるだけちゃんとしたフランス語を話したいと思ってやってきました。
これは変わらず私の信念です。
そして子供達にとって母親がここフランスの文化と異なり過ぎないようにありたいとも思っています。これは極めて個人的な感覚のため言葉にするのが難しいのですが、フランス人化したいというわけでは全くないのです。が、私がもともと環境に順応するのが好きなタイプなのだと思います。住んでいる国の文化に近づくことは私の中ではとても自然な感覚です。

私のフランス語は、在仏7年が経ったことと、もともと英語ができたのも貢献して、悪くないレベルだと思っていました。
それでもやっぱりフランスで生まれた人のフランス語では全くなく、外国人(日本人)のしゃべるフランス語で、これはどんなに頑張っても乗り越えられない壁だと限界を感じています。

やっぱり、言語はそこで生まれ育っていないと距離感がある。私の小さい頃の思い出、私を作った言語は日本語であり、フランスで生まれた人のフランス語にはなり得ない。
同じように、娘達を作っていく言語はフランス語で、日本語ではないという決定的な事実。
大げさかもしれないけれど、時々、娘達と私の間に深い海溝がはだかっているような距離を感じ、何か取り返しのつかないことをしているような気がすることもあります。

子供達への日本語教育を捨ててまでフランス語にこんなに貢献してきたのに、どうしてまだこんなレベルなんだろう?という悔しさがあるのだと思います。


「お前の母ちゃんフランス語上手じゃないな」いただきました〜!

さらに追い討ちをかけるように、ついこの間、長女が同級生に「あなたのママあんまりフランス語上手に話さないね」と言われたそうです。

この子は娘や他の同級生を叩いたり押したりと乱暴な子でちょっと問題視していたのですが、わざわざ娘にそういうこと言うとは…と一瞬絶句。

「あらー意地悪。悲しくなっちゃった」と言いました。
「ママ、そんなことないよ。フランス語すごく上手に話してるよ」と言ってくれた長女。大人気なく傷ついてしまったので長女に気を遣わせた…。
子供達にとってハンデになりたくなかったのに、自分の母親の特異な点を指摘されて申し訳ない。
このことを私に話してくれたのは嬉しかったのに、あからさまに傷ついちゃったのでもうこういうこと話してくれなくなっちゃうかな。

その後も引きずってしまい、色々考えました。
この子の言ったことは事実だから、そうだ本当だね、で終わりのはず。
でも情けない。娘にとって悪いことをしたと思ってしまう。
私は英語もできるし3ヶ国語話せるんだぞ、分からないだろうこの大変さ。と弁解したい自分がいました。
娘達ともフランス語でしか会話していない、日本語を話す日がない日もあるぐらい自分を犠牲にしているんだ、私の魂は毎日泣いてるとか、だんだん被害者意識になってきました。こんなに頑張っているのに、という悔しさ。
じゃあなんでフランスにいるの?誰もフランスに住んでと頼んでいないよ?と言う声が聞こえました。

フランスに住むことを選んでいるのは私です。
フランスで家族を持ちたかったのも私。今の暮らしを望んだのも私。
だからそれに付随する苦しみや葛藤も受け容れて進んでいくしかないのだと改めて思いました。



日本語訛りのフランス語でも

自分では日本語訛りはあまり強くないと自負していたけど、他人からすると十分アクセントがある。薄々分かってはいたけど、電話番号を聞き取ってもらえなかったり、子供に真実を言われると、考え直したくなる。
でもこれ以上どう頑張ればいいのか。

夫いわく発音に磨きをかけたいならオーディオレッスン聞いたりなんなり練習するのみ、努力が足りないと言います。

根底は夫が正しいと思います。夫自身もオーストラリアで大学を出て英語をマスターしただけあり、言語習得については理解がある。
フランス語の映画をフランス語の字幕付きで観まくるといいそうです。(そんな時間があったらねえ!)
彼は言語感覚も優れているタイプなのと、フランス訛りではないきれいな英語を話すのは彼の努力の賜物なのは知っています。

でも私はそこまでフランス語に対して愛も情熱もないのが厄介なのです。
同じ努力をするなら英語に磨きをかけたかった。英語を忘れつつある自分もフランス語を話す自分も好きじゃないのです。

でももう、そうは言っていられない。

娘達と私との間の海溝を小さくするため、娘達が大きくなった時ママダメだわ何にも分かってないと思われないために、努力を続けていかなければいけない。

ある方が「アクセントも個性だと思うようにしている。大事なのは伝わること」と言っていました。
アクセントを排除しよう・アクセントは恥ずかしい・悪だと思ってきた私には発想の転換でした。
そしてすごく気持ちが楽になりました。

日本人である自分の個性。自分のフランス語をチャーミングだと思えるようになりたい。言語を学ぶことは自分を受け容れるということでもあるのだ。
そんな母親の姿を見せ続けたら、娘達もいつか誇りに思ってくれるだろうか。
夫いわく、もう彼女達にはちゃんと分かってるよとのこと。


最後に、日本語を話すこと、日本人であることについて書かれているErinaさんという方のブログが大変参考になったので紹介します。

3 Comments
  1. Tomomi
    • Nagisa Keller
  2. Tomomi

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